こないだの秋葉原の事件から、おおよそ一ヶ月経っていますが、
随分矢継早に少年犯罪がニュースで流れていますね。
記憶にあたらしいひぐらし最終回棚上げのときと同じような犯罪ラッシュ。
しかしMSNニュースとかでは、カテゴリごとに似たようなニュースが一気に羅列されるのだけれど、
この一ヶ月で随分ほんとうに増えた。しかも、おって読むのがうんざりするくらいにお粗末な事件ばかり。
まぁ事件なんてお粗末なくらいがかわいいもんですが。
攻殻の笑い男やら個別のイレブンズみたいなんがでてきたらいよいよ日本はじまってるからな。
いま、お粗末、という言葉を使いましたが、
それはあまりにも短絡的、単純な、犯罪が増えていると感じたから。
犯罪はもっと美しくなければならないのにこんなにできそこないの3流小説みたいなものばかりが量産されて我慢ならない、というのが正直な気持ち。
勿論犯罪はなべて本来忌むべきものであるしそれがおきてほしいなどという気持ちもないけれど、
また現実にはそんな小説のような事態は起こり得ないと解っていつつも、
無意識にふ、とそういうふうに思ってしまう。
昔にはやった『模倣犯』の犯人みたいな気持ちがちょっぴり解る。
あれ?今自分危ないこと書いてる??
とりあへず犯罪を助長する気持ちは一切ないことを明記する次第。
ごめん、いま、あつくてもうぶんしょうせいりできない・・・!
随分矢継早に少年犯罪がニュースで流れていますね。
記憶にあたらしいひぐらし最終回棚上げのときと同じような犯罪ラッシュ。
しかしMSNニュースとかでは、カテゴリごとに似たようなニュースが一気に羅列されるのだけれど、
この一ヶ月で随分ほんとうに増えた。しかも、おって読むのがうんざりするくらいにお粗末な事件ばかり。
まぁ事件なんてお粗末なくらいがかわいいもんですが。
攻殻の笑い男やら個別のイレブンズみたいなんがでてきたらいよいよ日本はじまってるからな。
いま、お粗末、という言葉を使いましたが、
それはあまりにも短絡的、単純な、犯罪が増えていると感じたから。
犯罪はもっと美しくなければならないのにこんなにできそこないの3流小説みたいなものばかりが量産されて我慢ならない、というのが正直な気持ち。
勿論犯罪はなべて本来忌むべきものであるしそれがおきてほしいなどという気持ちもないけれど、
また現実にはそんな小説のような事態は起こり得ないと解っていつつも、
無意識にふ、とそういうふうに思ってしまう。
昔にはやった『模倣犯』の犯人みたいな気持ちがちょっぴり解る。
あれ?今自分危ないこと書いてる??
とりあへず犯罪を助長する気持ちは一切ないことを明記する次第。
ごめん、いま、あつくてもうぶんしょうせいりできない・・・!
この記事へのコメント
なるほど、悪いことをすると
>犯罪はもっと美しくなければならないのにこんなにできそこないの3流小説みたいなものばかりが量産されて我慢ならない
ってところだけ強調されて報道されるわけですね、わかります。
嗚呼素晴らしきこの世界。
>犯罪はもっと美しくなければならないのにこんなにできそこないの3流小説みたいなものばかりが量産されて我慢ならない
ってところだけ強調されて報道されるわけですね、わかります。
嗚呼素晴らしきこの世界。
2008/07/21 (月) 07:14:32 | URL | kecak55 #-[ 編集]
容疑者の女子大生(20)は犯行の数日前、自身のブログで秋葉原の事件について言及していた。
って産●とかが書くんだぜきっと。
そう、これはただのブログなんかじゃない!
この日記はbricの犯行を予言しているものだったんだよ!
って産●とかが書くんだぜきっと。
そう、これはただのブログなんかじゃない!
この日記はbricの犯行を予言しているものだったんだよ!
2008/07/21 (月) 10:03:25 | URL | gunsou36 #-[ 編集]
チキンですので・・・
というようなカテゴライズはもはや犯罪人の目安としては通用しないのかもな〜。
まあ人間って
一つのことに対しての気持ちって一個じゃないよね!!!
みたいな?
というようなカテゴライズはもはや犯罪人の目安としては通用しないのかもな〜。
まあ人間って
一つのことに対しての気持ちって一個じゃないよね!!!
みたいな?
2008/07/21 (月) 11:59:00 | URL | bric-a-brac26 #-[ 編集]
ひぐらし最終回棚上げじゃなくてスクイズ最終回棚上げだろ、と関係ないところにつっこんでみる。ないすぼーと
犯罪は美しくなければならないなんてバカなこと言ってじゃんねーよって思ったけど最近たしかにどうでもいいことで人殺し過ぎ人生棒に振り過ぎですよね。
ここまで生きるのにどれだけ苦労したと思ってやがる。
死ぬ時は人に殺されたくないですね。自分を殺すのは天か自分です。
犯罪は美しくなければならないなんてバカなこと言ってじゃんねーよって思ったけど最近たしかにどうでもいいことで人殺し過ぎ人生棒に振り過ぎですよね。
ここまで生きるのにどれだけ苦労したと思ってやがる。
死ぬ時は人に殺されたくないですね。自分を殺すのは天か自分です。
犯罪に限らず、組織でも同じだけれど、「縮減」作用が隅々まで行き渡っているような気がします。
朝職場にいったら「ツナギ」がなかった……
っていうのは、事務屋さんだったら朝職場にいったら机がなかった、っていうのと共通する面もあるのかな。
だからって、ねえ。
きわめて個人的な話をすると、人数分のラーメンから1杯分自分のものだけが足りなくて、それで死にたくなったことはあります。
しかし殺したくなったことはない。
思うんだけれど、今の時代は、かなり囲い込みっていうか、境界線を区切ることによって安心を確保しようという「圧」が強まっている。
説明責任だとか、インフォームドコンセントだとか、自己責任だとか、結局手に負える範囲に守備を固めていこうって感じになっているのじゃないかしら。
正社員を減らして人件費を削減するなんてのもそうだけど。
その結果、「縮減」された世界像からはじかれた人は、「世界」の外に、瞬間立たされることになっていないか。
「世界」を縮減して自分を守っている人からみると、「外」に立っている人の行動は「狂気」というか「無意味」というか、「統制がとれていない」としか見えない。
けれど、「世界」の外に瞬間排除されたと思った人は、その「瞬間」、すくなくても数秒の間は「死」よりも怖い「無」と向き合っているのだと思う。
殺されるのではなく、世界の「外」に立たされる瞬間。
その風を受けてよろめいたとき、復元力の弱い状態になっている人は、せめて誰かを殺さなくてはたまらない、とぐらい思っても、そんなにおかしくはないと思う。
私も最近そういう「外」に立たされる瞬間がありました。
でも、自分を理解してくれる人とか、必要としてくれる人とか、おもしろがってくれる人とか、ゼロではない、と思う(ほんとはどうかわからないけどね)ところがあって、次第にその「縮減」した世界像にによって相手から「世界の外」に瞬間放り出された恐怖は「ゆるんで」いきました。
世界を手に負える範囲に「縮減」し、手なずけておいてそれを「世界」全体と取り違える、というのは、人間が想像力によって生きる以上、ある種の必然ともいえるでしょう。理解できないものはなかったことにするしかないから。
ただ、ある種の「政治」や「権力」が、想像力の限界において、ではなく、限界づけることによって想像力を手なずけてしまう、としたら、それは「悪」の匂いがしてきませんか?
外側からその区別をすることは意外に難しいのだけれど。
今までは「擬制的共同体」(学校とか会社とか村とか)の縛りが強かった日本でも、「個」のエッジを立てねばならない面が出てきて、しかし、その訓練も準備も十分でないまま、「自己責任」なんて爆弾みたいな手に負えないものをいきなり背負わされたら、自爆テロする人も確率的には生じてくるだろうと思うのです。
だから。
世界を「縮減」しておいてそれを全体と取り違える貧しさから、自分たち自身を解放するための小さな「権力闘争」は必要なんじゃないかな……。
意味不明なわりに長・長文ですみません(><;)。
朝職場にいったら「ツナギ」がなかった……
っていうのは、事務屋さんだったら朝職場にいったら机がなかった、っていうのと共通する面もあるのかな。
だからって、ねえ。
きわめて個人的な話をすると、人数分のラーメンから1杯分自分のものだけが足りなくて、それで死にたくなったことはあります。
しかし殺したくなったことはない。
思うんだけれど、今の時代は、かなり囲い込みっていうか、境界線を区切ることによって安心を確保しようという「圧」が強まっている。
説明責任だとか、インフォームドコンセントだとか、自己責任だとか、結局手に負える範囲に守備を固めていこうって感じになっているのじゃないかしら。
正社員を減らして人件費を削減するなんてのもそうだけど。
その結果、「縮減」された世界像からはじかれた人は、「世界」の外に、瞬間立たされることになっていないか。
「世界」を縮減して自分を守っている人からみると、「外」に立っている人の行動は「狂気」というか「無意味」というか、「統制がとれていない」としか見えない。
けれど、「世界」の外に瞬間排除されたと思った人は、その「瞬間」、すくなくても数秒の間は「死」よりも怖い「無」と向き合っているのだと思う。
殺されるのではなく、世界の「外」に立たされる瞬間。
その風を受けてよろめいたとき、復元力の弱い状態になっている人は、せめて誰かを殺さなくてはたまらない、とぐらい思っても、そんなにおかしくはないと思う。
私も最近そういう「外」に立たされる瞬間がありました。
でも、自分を理解してくれる人とか、必要としてくれる人とか、おもしろがってくれる人とか、ゼロではない、と思う(ほんとはどうかわからないけどね)ところがあって、次第にその「縮減」した世界像にによって相手から「世界の外」に瞬間放り出された恐怖は「ゆるんで」いきました。
世界を手に負える範囲に「縮減」し、手なずけておいてそれを「世界」全体と取り違える、というのは、人間が想像力によって生きる以上、ある種の必然ともいえるでしょう。理解できないものはなかったことにするしかないから。
ただ、ある種の「政治」や「権力」が、想像力の限界において、ではなく、限界づけることによって想像力を手なずけてしまう、としたら、それは「悪」の匂いがしてきませんか?
外側からその区別をすることは意外に難しいのだけれど。
今までは「擬制的共同体」(学校とか会社とか村とか)の縛りが強かった日本でも、「個」のエッジを立てねばならない面が出てきて、しかし、その訓練も準備も十分でないまま、「自己責任」なんて爆弾みたいな手に負えないものをいきなり背負わされたら、自爆テロする人も確率的には生じてくるだろうと思うのです。
だから。
世界を「縮減」しておいてそれを全体と取り違える貧しさから、自分たち自身を解放するための小さな「権力闘争」は必要なんじゃないかな……。
意味不明なわりに長・長文ですみません(><;)。
2008/07/31 (木) 01:03:59 | URL | foxydog #-[ 編集]
ああ、誤解なきよう一言だけ自己レスを。
くれぐれも、だから誰かに愛されることが必要だって話じゃないです!もちろんですが。
中と外、自分たちとそれ以外、そういう境界線の近傍には、必ず幽霊が立ち現れるはずなのに、その幽霊たちに瞳をこらす努力が十分になされていないのではないか、という「視線」の怠惰を問題にしたかったのでした。
勝手に境界線作ったからって、閉じられると思うなよな!
なんどでも幽霊は出てくるぜ。
その境界線が恣意的に区切られたものであるかぎり。
ということでした。
ますます意味不明か……。
くれぐれも、だから誰かに愛されることが必要だって話じゃないです!もちろんですが。
中と外、自分たちとそれ以外、そういう境界線の近傍には、必ず幽霊が立ち現れるはずなのに、その幽霊たちに瞳をこらす努力が十分になされていないのではないか、という「視線」の怠惰を問題にしたかったのでした。
勝手に境界線作ったからって、閉じられると思うなよな!
なんどでも幽霊は出てくるぜ。
その境界線が恣意的に区切られたものであるかぎり。
ということでした。
ますます意味不明か……。
2008/07/31 (木) 01:11:07 | URL | foxydog #-[ 編集]
突然放り出される瞬間、というのは、わたしにとっては(と理解が足りないのを誤魔化すために巧妙に論点のすりかえを行ないますが)、自分がそこに築いてきた、信じるに足るものだと信じてきた盤石な足元がふいに「それってホントにホントなの?」っと疑った瞬間にほろほろと瓦解していってふわりと宙に投げ出される瞬間、かなと思いました。多分いや100%先生が思ったこととは違いますけど…。
自分ってこうだ、ああだ、と規定していって、その規定に自分から収まりに行く、というようなことは誰しも行なうことだとは思うんですけど。というかいつでもフレキシブルに外形をかえて行く「内面」てやつを社会の中で一定の役割に就かせてかつ運用して行くにはそうするしかないんですけど、その「思ってる自分」って本当に心の底から正しい自分の姿なのか?そうおもいこんでるだけではないか?と一瞬疑ってしまうことはないですか?たとえば自分は優しくて思いやりがあると思っているけども、本当は他人からの見返りを期待した単なる保守行為なんではないか?
みたいに。
自分はそういう考えがあたまを奔った時には、眸をそむけることにしていますが、いづれはきちんと対決しなければいけないんでしょうね。
自分のでも他人のでも、つけている仮面に爪をかけて引き剥ぐという無体な行為はあまりしたくないもんですけどね。
だいぶずれたなぁ・・・。
先生のいう「外に立たされる瞬間」というのは、自分と他人の間に壁と言うかうすい幕のような、隔たりをかんじる瞬間、ということですか?
仲間はずれとか、そういう故意的なことでなくて、常識が分かち合えないとか、共同幻想を共有できない、とか。
あの秋葉原のひとがおそらくこれまでたどってきた道の中でのように?
うーん
乱文乱筆(というより打、か)すみません・・・!
自分ってこうだ、ああだ、と規定していって、その規定に自分から収まりに行く、というようなことは誰しも行なうことだとは思うんですけど。というかいつでもフレキシブルに外形をかえて行く「内面」てやつを社会の中で一定の役割に就かせてかつ運用して行くにはそうするしかないんですけど、その「思ってる自分」って本当に心の底から正しい自分の姿なのか?そうおもいこんでるだけではないか?と一瞬疑ってしまうことはないですか?たとえば自分は優しくて思いやりがあると思っているけども、本当は他人からの見返りを期待した単なる保守行為なんではないか?
みたいに。
自分はそういう考えがあたまを奔った時には、眸をそむけることにしていますが、いづれはきちんと対決しなければいけないんでしょうね。
自分のでも他人のでも、つけている仮面に爪をかけて引き剥ぐという無体な行為はあまりしたくないもんですけどね。
だいぶずれたなぁ・・・。
先生のいう「外に立たされる瞬間」というのは、自分と他人の間に壁と言うかうすい幕のような、隔たりをかんじる瞬間、ということですか?
仲間はずれとか、そういう故意的なことでなくて、常識が分かち合えないとか、共同幻想を共有できない、とか。
あの秋葉原のひとがおそらくこれまでたどってきた道の中でのように?
うーん
乱文乱筆(というより打、か)すみません・・・!
2008/07/31 (木) 21:45:38 | URL | bric-a-brac26 #-[ 編集]
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